1968年4月24日ドイツ、ハノーファー生まれ。フランクフルト国際空港近隣の町ヘッペンヘイムで育つ。幼少から映画に興味を持ち、15歳から8ミリ短篇映画を撮り始め、アマチュア映画祭などに出品して、好評となる。18歳より、NDR(北ドイツ放送)の研修員となり、2年間ロケ主任を務め、更に編集室、現像室、録音室などにも出入りし、映画製作を実地で学ぶ。その後、ベルリンに移り、助監督、制作担当としてマチュー・カリエール(「フールズ・メイト」89)、ハイコ・シアー(「Wedding」90)、フィリップ・グレーニンクといった監督の作品に付く。壁崩壊後、東ベルリンに行き、エルンスト・ブッシュ舞台芸術学校の監督コースを受講。在学中より短篇を撮り始め、「Tour
d'amour」(89)ではHDF短篇映画賞、「Die Rauber」(89)では次回作の資金が贈られる新人賞を受賞。91年よりミュンヘン映画放送大学で映画演出を学び、92年には製作会社「ファイト・ヘルマー・フィルムプロドゥクシヨン」をベルリンで創設。以来、短篇映画を次々と監督し始め、「Zum
Gireifen nah」(92)でトリノ映画祭最優秀短篇賞、パリのエッフェル塔で撮影を敢行した「Tour Eifel」(94)でヒホン映画祭最優秀短篇賞、大仕掛けないたずらで起こす「Surprise!」(95)とユニークな短篇で注目を集める。CF業界からも依頼が舞い込み、フランスやアメリカでコカ・コーラ、イケアなどのCFも演出。ミュンヘン映画学校の講師なども始め、96年は同校の学生がヴィム・ヴェンダースと共同で脚本を書いてヴェンダースが監督したウド・キアー主演「Die
Gebrueder Skladanowsky (スクラダノフスキー兄弟〜照明のトリック)」を共同製作した。
98年には初めての長篇『ツバル』に取り組み、フランダース映画祭で絶賛され国際映画批評家賞を受賞したのを始め、サン・セバスティアン、シカゴ、2000年にロッテルダム、ベルリンと各国の映画祭に招かれて評判となり、マックス・オフュルス賞、バイエルン映画賞の若手監督賞など国内外で20もの映画賞に輝き、大成功を収める。一躍、注目の監督となるが、その後も意欲的にドキュメンタリーや短篇の監督を続け、今回5年振りに待望の長篇第二作に取り組み、空港を舞台に多国籍キャストを得て、再び魅惑的な作品を創り上げた。
●主な監督・出演作品
| 1989 |
: Tour d'amour (短篇) |
| 1990 |
: Die Rauber (短篇) |
| 1992 |
: Zum Greifen nah (短篇) |
| 1993 |
: Der Fensterputzer (短篇) |
| 1994 |
: Tour Eiffel (短篇) |
| 1995 |
: Surprise! (短篇) |
| 1996 |
: Die Gebrueder Skladanowsky (共同製作のみ) |
| 1998 |
: ツバル Tuvalu |
| 1999 |
: City Lives (記録) |
| 2000 |
: Tati-Hati, Malam-Malam! (短篇) |
| 2002 |
: Uzbek Express! (短篇) |
| 2003 |
: ゲート・トゥ・ヘヴン Gate to Heaven |
●共同脚本:ゴルダン・ミヒッチ
[Gordan Mihic]
1938年9月19日クロアチア、モスタル生まれ。ベオグラード大学で文学を専攻。57年日刊紙ボルバ紙
の記者となってジャーナリスト活動を開始。62年には記者仲間のリュビーシャ・コゾマラと組んでサヴァ・ムルマック監督作「Zvizduk u
osam」で映画脚本を初めて執筆。その後も9作品を共同執筆し、67年はジヴォイン・パヴロヴィチ監督のベルリン映画祭銀熊賞受賞作「Budjenje
pacova (ごろつきたち起きる)」とそれに続く「Kad budem mrtav i beo(俺が死んだら去ってくれ)」が評判となる。69年にはコゾマラと共同による「Vrane(軍人たち)」で監督デビューし、ユーゴ映画界の新しい波"ユーゴスラヴィアン・ブラック・ウェイヴ"を代表する作品となる。その後、単独でTV映画「Prijatelji」(75)、ミニ・シリーズ「Srecna
porodica」(79/後に劇場公開)を監督。脚本家としては、「Paskoji je voleo vozove (汽車の好きな犬)」(77)、「Varljivo
leto '68(かけがえの無い夏)」(84)、「Tangoargentino」(92)、『スペイン風の庭』(95)でゴラン・パスカリェヴィチ監督とコラボレーションを続けた他、ブランコ・バレティチの「バルカン・エクスプレス」(83)、ストーレ・ポポフの『ハッピー'46』(86)やエミール・クストリッツァの傑作『ジプシーのとき』(88)と『黒猫・白猫』(98)を共同執筆。なお、女優ヴェラ・クキッチとの間に生まれた娘イヴァナ・ミヒッチも女優・製作者となり、1995年には映画製作会社"Horizont
2000"(www.horizont2000.co.yu)を興し、イヴァナ主演、自身の監督・脚本による「Terasana
krovu」(95)を発表。続いて、デヤン・ジェツェヴィチの「Kupi miEliota」(98)、ジョルジェ・ミロサヴリェヴィチの「Mehanizam」(00)、マルコ・マリンコヴィチの「Ona
voliZvezdu」(01)、スロヴォダン・ジヤンの「Siroti mali hrcki 2010」(03)と「Kucsrece」(04/TVミニ・シリーズ)などを手掛けている。

●アレクセイ:ヴァレラ・ニコラエフ
Valera Nikolaev, Alexej
1965年8月23日ロシア、モスクワ生まれ。幼少から体操を始め、7歳から競技大会に出場。83年にはスタニスラフスキーが創設した名門の演劇学校に入学するが、翌年から86年まで兵役のため陸軍に入隊。87年ニューヨークのジュリアード芸術学校の奨学生となり、1年間演劇を学んだ後、サラソタのフロリダ大学でダップとジャズ・ダンスのディプロマを取得。88年はロンドンのバービカン・センターでの演技のインターシップも受講。91年よりモスクワ芸術劇場で俳優及び振付師として活動を始め、《ウンディーネ》、ブライアン・コックス演出《るつぼ》などに主演。映画界からも注目され、92年にデビューし、イジー・メンツェル監督「
Zivot a neobycejna dobrodruzstvi vojaka Ivana Conkina (イヴァナ・チョンキナの冒険)」(94)、ウラディーミル・メニショフ監督「Shirli-Myrli
(何てザマだ!)」(95)、主演作「Odinokij igrok (孤独な騎手)」(95)などに次々出演。この後、フィリップ・ノイス監督『ザ・セイント』のロシア人親子トレティアク役でラデ・シェルベッジャと共に起用され、ハリウッド進出。更に、SFホラー「アベレーション」(97)、ストーン監督『Uターン』(97)にも出演。帰国し、ロシア・グローヴ座でピランデッロ作《ヘンリー四世》などに主演。2000年にはTVシリーズにも主演するなど、TV界でも活躍し、アメリカでは「The
Strip」(00)、「The Beast」(01)のエピソードにゲスト出演。2001年はヴィンリッヒ・コルベ監督のSF「アイス・プラネット」に大尉役で出演し、ドイツ映画界に進出し、2003年は本作に主演した。なお、2004年はルーマニア・ロケのヴァーシリ・シジンスキ監督「Mirror
Wars」にも出演している。

●ニーシャ:マースミー・マーヒジャー
Masumi Makhija, Nisha
1977年インド、ムンバイ生まれ。幼少からインド南部の古典舞踊バラタナティアム(Bharatnatyam)を学び始め、14歳から舞台で演じ始める。また、伯父が監督のグル・アーアンド、祖父がボリウッド映画を最初に国外に紹介したインド映画配給業者の草分け的存在だったことから、映画スタジオを庭とし、早くから広告モデルなども始め、Rexonaのデオドラント、ジョンソン&ジョンソンの洗顔剤、キングフィッシャー・ウォーターなどのTV-CFにも出演。学校卒業後は、カナダでマルチメディアとウェブデザインを学ぶと共に経営学と財政学で学士号を取得。帰国後、舞台ではバーンスタインのミュージカル《ウェストサイド・ストーリー》を翻案にしたヒンディ・ミュージカル《Dil
Ka Haal Sune Dilwale》でマリア役を主演。TVにも進出し、2002年は評判となったラヴィ・ライ監督「Thoda Hai
Thode Ki Zaroorat Hai」やヴィシャール・バーラードワーイ監督によるシリーズものの一篇「Dhan Dharn Taran」などに出演。映画にも進出し、ショーナ・ウルヴァシ監督「Chupke
Se」(03)に大御所オーム・プリと共演したのに続き、撮影監督マドゥ・アムバートの「1:1.6 - An Ode to Lost Love」で英語作品も演じ、更にはシェイクスピア悲劇《マクベス》を翻案にしたバーラードワーイ監督のヒンディ映画「Maqbool」でイルファン・ハーン、プリ、ナセールディン・シャー、タブらベテランと共に配役され、夫人の娘役を演じる。そして、今回オーディションでヒロインのニシャ役を得て、国際的にも活躍の場を広げ、各メディアで紹介された。本作後は、実話を元にしたマーヘシュ・マンジュレカール監督の「Padmashri
Laloo Prasad Yadav」(03)で表題役パドマシュリを演じている。

●ダック:ミキ・マノイロヴィッチ
Miki Manojlovic, Dak
1950年4月5日旧ユーゴスラヴィア、ベオグラード生まれ。両親が舞台俳優だったため、6歳で初舞台を踏む。大学、在学中からTVなどに出演。学業を終えるや、俳優としての活動を本格的に開始し、72年《ハムレット》で舞台デビュー後、《セールスマンの死》(75-76)、《かもめ》(76)、《ホンブルク公子》(77)、《戦争と平和》(79)、《マクベス》(81)、《ファウスト》(82)といった大役を次々と演じで評判となる。74年には映画界にも進出し、特にライコ・グルリッチの「Samo
jednom se ljubi (恐怖の旋律の記憶)」(81)、「U raljama zivota (アゴの中の生活)」(84)、「Za
srecu je potrebno troje (3人の幸せ)」で組み、注目される。85年カンヌ映画祭パルム・ドールに輝いたエミール・クストリッツァ監督作『パパは、出張中!』のパパ役で国際的にも知られるようになり、87年にはピーター・ブルックの依頼で舞台《マハーバーラタ》英語版に参加。翌年のツアーには参加せず、ブレヒト作《バール》(88)、アリストファーネ作《鳥たち》(88)に出演し、更にアレクサンデル・ペトロヴィチ監督作「Migrations」(88)でイザベル・ユペールと共演。また、ジャック・ウェベール主演・演出《シラノ》(90)、《罪と罰》《ゴドーを待ちながら》(91)、《リチャード3世》(92)といった舞台をパリなどで演じる。映画は、89年ゴラン・パスカリェヴィチ監督の「奇跡の時」に主演後、「Tango
argentino」(92)、『スペイン風の庭』(95)、「Bure barut (バルカン・キャバレー)」(98)で同監督と組み、クストリッツァ作品も絶賛された『アンダーグラウンド』(94)、『黒猫・白猫』(98)に出演。フランス映画界でも人気で、ニコル・ガルシア監督「Un
week-end sur deux」(89)、マルティーヌ・デュゴウソン監督『恋人たちのポートレート』(95)、アニェス・メルレ監督『アルテミシア』(96)、エリエット・マラン監督「Epouse-moi」(99)、クレール・ドヴェール監督「Les
marins perdus」(01)と女性監督の作品を中心に出演し、ドヌーヴの指名で短篇「見知らぬ男」(94)で共演した他、オゾンの『クリミナル・ラヴァーズ』(98)、ベネックスの『青い炎の女』(01)でも印象を残した。更にイタリアで『肉屋』(98)に主演したのに続いて、カナダでレア・プールの「セット・ミー・フリー」(99)と活躍の場を広げ、今回ドイツで本作に出演した。

●ヨアヒム・ノヴァク:ウド・キアー
Udo Kier, Joachim Nowak
1944年10月14日ドイツ、ケルン生まれ。10歳の時に南仏に移住。18歳で英語習得のためロンドンに渡り、マイケル・サーン(『ジョアンナ』68)と知り合い、彼が監督した短篇「Road
to St-Tropez」(66)に端役ながら出演。以来、俳優として活動を始め、70年にはマイケル・アンダーソン監督『残酷!女刑罰史』のヒットで知られるようになり、『ザルツブルグ・コネクション』(72)など国際的な作品に出演。アンディ・ウォーホル製作、ポール・モリシー監督によるカルト・ホラー『悪魔のはらわた』『処女の生血』(74)で強烈な印象を残してからは、ローベルト・フォン・アカレンの「最後の叫び」(75)、「ベルカント」(77)、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの「哀れなボルヴィーザー」、「
Die dritte Generation 」(79)、『ベルリン・アレクサンダー広場』(80/TVシリーズ)、『リリー・マルレーン』(81)、「Lola」(82)、ヴェルナー・シュレーターの「Flocons
d'or/Goldflocken」(76)、モニカ・トロイト&エルフィ・ミケシュの「セダクション」(82)といったドイツの異才に次々と出演。国外では、ダリオ・アルジェントの『サスペリア』(77)、ヤンチョー・ミクローシュの『ハンガリアン狂詩曲』(79)、ヴァレリアン・ボロフチクの「Lulu」(80)、「ジキル博士と女たち/暴行魔ハイド」(81/ジキル役)、邦画『アナザーウェイ
D機関情報』(88)などにも出演。また、『エピデミック』(88)より『ヨーロッパ』(90)、『キングダム』(94-7/TV)、『奇跡の海』(96)、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(00)、『ドッグヴィル』(03)とラース・フォン・トリアー作品に欠かせない存在となると共に、奇才シュリーゲンズィーフの『ドイツチェーンソー大量虐殺』(91)、『テロ2000年
集中治療室』(92)、『ユナイテッド・トラッシュ』(95)でおバカ演技を披露。91年の『マイ・プライベート・アイダホ』以後は、アメリカでのエージェントも得て、ハリウッド映画などにも出演を始め、『バラ色の選択』(93)、『カウガール・ブルース』(93)、『エース・ベンチュラ』(95)、『バーブ・ワイヤー』『ピノキオ』(96)、『エンド・オブ・バイオレンス』(97)、『ブレイド』『アルマゲドン』(98)、『スパイゲーム』(99)、『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』(00)、『神に選ばれし無敵の男』(01)、『フィアー・ドット・コム』(02)、「One
Point O」(04/ジェフ・レンフロー)などの英語作品でも活躍し、新作もフォン・トリアーの「Manderlay」を始め多数待機している。なお、オフィシャル・サイト[www.udokier.de]も開設している。

●トーゴ:ソティギ・クヤテ
Sotigui Kouyate, Togo
1936年マリ共和国バマコ生まれ。両親はギニア出身で、アフリカ大陸の地理、歴史、儀式、文化を後世に継承することを任命された特別階級である伝承詩人グリオ(Griot)の家系。友人の演劇プロデューサー、ブバカール・ディッコの誘いで幾つかの舞台に出演するが、ブルキナ・ファソの国立フットボール・チームに入団し、選手として活動。66年、再びディッコの誘いで、伯父の書いた戯曲に出演して、演技に魅せられ、25人の団員を集めて劇団を興し、ラジオなどで即興なども披露。68年より国外からも招聘されるようになり、72年にはフランス映画にも出演。83年ピーター・ブルックの誘いで、《マハーバーラタ》のビーシュマ役を与えられ、フランス語を習得し、85年のアヴィニョン祭に続いてパリのフッブ・デュ・ノール、86年のNY公演で演じる。87年より英語版を世界各地で演じ、88年には日本での最終公演、89年のTV及び映画収録版にも出演。その後もブルック演出作には欠かせない存在となり、《テンペンスト》(93/プロスペロー)、《The
Man Who...》(99)、《ハムレット》(91/ポロニアス)、リジー・ラヴリッジ作《Le costume》(03)などに出演。映画界からも注目され、トマ・ジルのヒット作「Black
Mic Mac」(86)を始め、『デサント・オ・ザンファー/地獄に堕ちて』(86)、マルコ・フェッレーリの「Y a bon les blancs」(88)、『シェルタリング・スカイ』(90)、マルガレーテ・フォン・トロッタの「L'Africana」(90)、アモス・ギタイの「ゴーレム〜彷よえる魂」(91)、ベネックスの『IP5〜愛を探す旅人たち』(92)、本作のフランス版とも言える『パリ空港の人々』(93)などに出演して印象を残す。また、息子ダニ・クヤテは監督となり、グリオを描いた「Keita,
L'eeritage du griot」(95)、「Sia, le reve du python」(01)といた彼の監督作に主演して、前者では音楽も担当。2001年はラシッド・ブシャレブの「リトル・セネガル」(01)の演技でナミュール仏語映画祭の最優秀男優賞を受賞。2002年はフリアーズの『堕天使のパスポート』、デミの「シャレード」にも顔を見せている。なお、演出家としてもフランス、アフリカで活躍を始め、99年にはパリ郊外のテアトル・ド・ラ・コミューヌで《アンティゴネー》、2003年には《エディプス王》を上演している。
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