この映画の構想は何から発想を得たのですか? フランクフルト空港の側で子供時代を過ごした僕は、ジャンボジェット機が離陸する光景にいつも魅せられていたんだ。僕の両親は、飛行機が飛ぶことは環境に悪いと考えていたので、16歳の時に僕が初めて飛行機に乗るっていう時には、なんとかして親をごまかさなきゃいけなかったんだよ。 何年間もずっと、航空会社そして夢を運ぶために陰でがんばっている人たちについての映画を撮りたいと思っていた。僕はどのようにアプローチすれば良いか、方法が見つからなかったけれど、パイロットやスチュワーデスについての物語はつまらないということだけは初めからわかっていた。それからある日の夜、僕はこの映画の重要なシーンのアイデアを思いついた。清掃婦が、夜にこっそり飛行機に忍び込んでスチュワーデスの真似事をするんだ・・・。ある夜彼女は、コックピットに座っているパイロットを夢見る荷物運搬係の男の子と出会う。このシーンは、飛行の神話を紐解く魔法のカギを僕に与えてくれたんだ。
「ゲート・トゥ・ヘヴン」というタイトルは、何を表しているのですか? これまである一定の方向に進んでいた西洋文明が、9.11のテロ以降、別の方向に向かいだしたのではないだろうかと思います。9.11は、今まで続いてきた西洋文明に終止符を打つものでなかったか。太古、中近東やインド、ギリシャから複雑に歩んできた西洋文明が、別のシステムに取って代わる。西洋諸国にとってそれは簡単なことではありません。そんなことを考えながら本作品のアイデアを思いつきました。
クストリッツァ監督の映画でよく知られているゴルダン・ミヒッチが、本作の脚本も書いていますね。彼との仕事はどのような感じでしたか? 目に見える世界の陰に隠れた魔法を、僕と一緒に見つけてくれるような作家を、僕はいつも探している。1995年、僕はベオグラードにいるゴルダン・ミヒッチのもとへ共同脚本の話をしに行った。"ジプシーのとき"の脚本に敬意を表してね。彼は「ゲート・トゥ・ヘヴン」のアイデアをとても喜んでくれて、脚本を書き始める前にリサーチをしたいと言った。少しして、僕たちはフランクフルト空港の"地下"へ、初めての探検旅行に出かけたんだけど、そのわずか2ヶ月後に彼は第一稿を書き上げてくれたんだ。この脚本のために、僕達はトータルで4年もの歳月を要した。ゴーダンはドイツ語も英語も話せないので、僕達はいつも通訳を介して話をしていたんだけど、この旅では、アイコンタクトでお互いを十分理解することができたよ。
多国籍な人々が集まる場所であり、国際線の乗り継ぎ空港でもあるフランクフルト空港は、あなたの映画にどのようなインパクトを与えましたか? フランクフルト空港では、6000人もの人々が働いている。荷物運搬のエリアや、また別の侵入禁止のエリアでは、その国籍の数はターミナルにいる旅行者達よりもっと多様なんだよ!僕は主役を文化の違う領域で生まれた人物にしようと思ったんだ。このアイデアもあって、色々な国のキャストを出演させようと決めた。全ての俳優が自らの経験を物語に反映させたことは、より立体的な感情をキャラクターに与える助けとなった。僕は最初の映画「ツバル」で、6ヶ国のヨーロッパの俳優と仕事をしていたし、仕事や映画の上では前向きな相違を感じていた。俳優達は僕たちよりもずっと、自国の文化についてよく知っているので、僕は彼らのアイデアや提案を広く受け入れた。一方、僕はこのプロジェクトの全責任を負っていたし、映画全体と調和した話の流れの中の変化を把握しなければならなかった。 僕が初めてボンベイでボリウッドの映画を観たのは1996年のことだった。その時すごくわくわくゾクゾクしたのを覚えているよ。僕はニーシャが彼女の国の文化をアレクセイに見せるようにしたかったので、インド映画のいくつかの要素を映画に盛り込むのは面白いんじゃないかと思った。僕はボンベイで収録された歌を持っていたし、インド映画のスタイルでダンスナンバーを撮影しました。なぜもっとダンスシーンを撮らなかったんだろうと自分でも思うくらい、うまくいったと思うよ。
空港はセキュリティが厳しいと思いますが、このような特別なロケ地での撮影で困難だったことは? セキュリティエリアでの撮影許可を得ることは、たった1日だけの撮影でもそれはそれは大変なことだったよ。小さな空港であってもそうだろうね。僕たちはドイツで最大の空港で撮影するために、60日間を要した。さらに悪いことに、空港はベストなアングルから見せてもらえない。僕の最初のリクエストは無惨にも拒否されてしまった。結局、僕たちの撮影は、ルフトハンザがジャンボジェットや飛行機を自由に使わせてくれたおかげでうまくいった。ただし、荷物運搬コンベアーシステムと管制塔の屋根のシーンはデュッセルドルフで撮影したんだ。